ネット新連句(歌仙)「西東三鬼・ガバリと」~(二)十一

ネット新連句(歌仙)「西東三鬼・ガバリと」~(二)十一

スタート 平成二十一年九月十五日
ゴール  平成二十一年 月  日 
メンバー 小童(B)・宣長(B)・不遜(B)

(一) 正調

  三橋敏雄の句に「顔押し当つる枕の中も銀河かな(『巡礼』昭和54)」
  があるという。敏雄の俳句の師匠は西東三鬼である。敏雄は、三鬼の、
  三鬼開眼の、次の一句(『旗』昭和15)を想起しているに違いない。

一 水枕ガバリと寒い海がある     西東三鬼 冬
二  蒲団叩いて喚くワシコフ       小童 冬
三 無一物一物だけを持て余し       宣長 雑
四  某月十六日政権交替         不遜 雑
五 彼岸花咲いてまだ鳴きやまぬ蝉      小 秋
六  引く手数多の月のお誘い        宣 秋 月

(二) 破調

一 先制の霞ヶ関に必殺パンチ        不 雑
二 官僚留守で盲判捺す           小 雑
三 マゾかサド春キン抄が恋しくて      宣 春 恋
四 朧夜に乳房見てはしのび泣く       不 春 恋   
五 舌を出し閻魔の前でわらへりき      小 雑
六 三界の衆生逆立ち失敗又失敗      宣 雑
七 短夜思惟スレバ涙滂沱ノ如シ       不 夏
八 母の日に同志となりぬチェジュの月    小 夏 月
九 敬老を過ぎれば忘老棄老364日     宣 雑
十  赤き袴下に牛馬鹿暴れ         不 雑

十一 小 春 花
十二 宣 春

(三) 乱調(絵文字・記号など可)

一  不 


(讃岐通信)


七 短夜思惟スレバ涙滂沱ノ如シ       不 夏
八 母の日に同志となりぬチェジュの月    不 夏 月
                      ↓
                      小?
九 敬老を過ぎれば忘老棄老364日     宣 雑


姥捨山棄老伝説」
姥捨山は長野県冠着山のことで、ここにまつわる〈棄老伝説〉が姥捨山伝説である。昔話としても全国的に行き渡り、たとえばヾ?討蕕譴刃景譴心掛けの良い人だったので、山の神から打ち出の小槌をもらうが、それを真似て悪い女房が自分を山に棄てさせ、ひどく難儀して死んでしまう、∀掲未鮖海亡?討觸慣のある土地で、ある親孝行の倅が母を縁の下に隠して養う。あるとき、隣の国から難題をもちかけられるが、誰も解く者がなく、倅が母の知恵で解いたため、褒美に母親を許してもらい、以後老婆を山へ棄てることがなくなった、というようないくつかの類型がある。『古今集』巻一七・雑歌上八七八、『今昔物語集』巻九第四十五、『俊頼髄脳』、能『姨捨』等に伝承の展開が見られるが、こうした〈棄老伝説〉を現代に復活させたのが深沢七郎の『楢山節考』である。『大和物語』では悲しさのあまり息子は老母を再び迎えに行く。『楢山節考』では息子辰平は、「本当に雪が降ったなあ!とせめて一言だけ云いた」いために禁断の山道を再び引き返す。母おりんは「白狐のように一点を見つめながら念仏を称えて」おり、「頭を上下に動かして頷きながら」帰るよう命ずる。ここでおりんは自然と合一する形で死を迎えることになる。家ではまるで何事もなかったかのように日常が開始される。すべては自然な流れにすぎないかのように。 (ネット参照)

(下野通信)

http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57317843.html

西東三鬼の世界(一)

○ 頭悪き日やげんげ田に牛暴れ (『今日』)

 三鬼の第三句集『今日』(昭和三十七年刊)所収の昭和二十四の作。季語は「げんげ田」
(春)。一面の紅紫色の紫雲映(げんげ)の田で、牛が暴れるという。遠い異国の地の闘牛場
では、「赤いマントを目がけて牛が突進し、最後に、牛は生け贄にされる」。牛は、赤や
この赤系統の原色に近い色に狂うのであろうか。
 この句は、「頭悪き日や」(八)・「げんげ田に」(五)・「牛暴れ」(五)の字余りの破調
の句である。この「頭悪き日や」の、この「や」切りが、何とも意表を突いて、何とも魅
力的なのであるが、言葉ですると、何とも、説明のしょうがない感じなのである。
 鷹羽狩行は、ランボーの「春は残酷の季節である」を引用して、作者の「苦悩」を指摘
しているという(『近代俳人(西東三鬼)』)。また、大野林火は、「憂鬱の捨て場は何処に
もない。・・・ その(作者の)顔の孤独な眼がさびしく光る句」(『近代俳句の鑑賞と批
評』)と指摘しているという(『近代俳句大観』)。
 こういう、言葉ですると如何ともし難いものは、まず、字句の意に沿って理解するの
が、その第一感の理解の仕方であろう。文字通り、「苦悩」とか「孤独」とかを引用する
までもなく、「頭の回転が鈍い日」ととらえたい。「頭の回転が鈍い日であることよ。何
と、それを象徴するかのように、一面の紅紫色の紫雲映田で、牛が苛立つように暴れてい
ることだ」と、作者の自嘲的な句と理解をいたしたい。
 どことなく、この句は、三鬼の初期の頃の作、「算術の少年しのび泣けり夏」(昭和十一
年作)と同一傾向のものという雰囲気を有している。
 そして、三鬼の年譜などを見ていくと、三鬼は、常に、父代わりの(父は三鬼が六歳の時
亡くなっている)長兄の庇護下にあって、その長兄などに比して、ある種のコンプレックス
を抱いていたということが、察知されるのである。そういう往事を回想しての、三鬼の自
画像と、この一句を理解をいたしたい。


(湘南通信)

九  敬老を過ぎれば忘老棄老364日     宣 雑
十   赤き袴下に牛馬鹿暴れ         不 雑
十一 花冷えにヒコーキ雲の一文字       小 春 花

【西東三鬼没後30周年記念俳句大会】
 平成4年4月5日に、三鬼顕彰全国俳句大会なるものがあったらしい。大会は超結社で企画され、日本伝統俳句協会会長の稲畑汀子氏、現代俳句協会会長の金子兜太氏、俳人協会会長の澤木欣一氏他が参加し、3668句の投句の中から、各選者が特選1、入選30句を選んだ。以下はそのときの各特選句である。

 ■稲畑 汀子 選  我に似し霜焼の手を包みやる   早瀬 季子 (倉敷)
 ■飯田 龍太 選  三鬼忌や今日を盛りの山桜    和田 富子 (奈良)
 ■金子 兜太 選  捕虜と言う外套長き長き列    葉畑 蝶児 (三原)
 ■澤木 欣一 選  鏡餅罅れ漁夫は皆若人(わか)し 鈴木 金市 (焼津)
 ■鈴木六林男 選  なでられて鶏頭種をこぼしけり  中尾 初子 (津山)
 ■三橋 敏雄 選  人間のみ戦死過労死春の霜    玉井 吉秋 (東京)
 ■山口 誓子 選  数多飛ぶ綿虫個々に命あり    丹羽きよし (四日市

この特選句から一句選べば「なでられて鶏頭種をこぼしけり」が最も俳諧的か?