ネット新連句「岸本水府・(道頓堀の)」(二)五

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ネット新連句「岸本水府・(道頓堀の)」(二)五

スタート 平成二十二年五月六日
ゴール  平成二十二年 月 日 
メンバー 小童(B)・宣長(B)・不遜(B)

(一) 正調

一 道頓堀の雨に別れて以来なり      岸本水府 雑
二  つぶやくまえにつぶやいてみる    小童   雑 
三 しがらみの暮らしの中に涼を得て    宣長   夏  
四  貧乏長屋も歌女が鳴くなり      不遜   秋
五 自販機へ釣銭掴み十三夜         小   秋月
六  大根役者が大根を蒔く         宣   秋

(二) 破調

一  鳴かぬなら為す術もなし鳩ポッポ       不  雑
二   めがねをかけめがね探しをり        小  雑
三  ミズナラの樹肌を削りし貴方不可解      宣  雑
四   forget-me-not 勿忘草を 何時までも    不  春 恋
五  花と小父さん何んでそなこと言える訳     小  春 恋
六   春 恋
七   夏
八   夏 月
九   雑



(讃岐通信)○ ミズナラの樹肌を削りし貴方不可解

  藤村操の「巌頭之感」~今を去ること107年前~明治36年1903年)5月、一人の18歳(満16歳10か月)の旧制一高生の死が、若者たちをはじめ社会の人々に大きな衝撃を与えた。彼の名は、藤村操。巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って書き残した文言が、次の「巌頭之感」であった。

  巌 頭 之 感

    悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
    此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
    オーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ
       一言にして悉す、曰く、「不可解」
    我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
    既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
    始めて知る、大なる悲觀は 大なる樂觀に一致するを。
     (明治36年5月22日)http://www.geocities.jp/sybrma/02hujimura.htm


 「憂世の真率にして真直の少年巌頭に立つ」って感じ。煩悶の極みが一言の「不可解」とはアッパレ。この直観する魂の理由をして、失恋とか遺伝とかに解明を求めるは愚。「大なる悲觀は大なる樂觀に一致」は転じて本質を見たり。これが16才辞世の一文ともなれば感涙もまた新たな震撼呼ぶ。遥遥ロンドンより鬱の論理を持ち帰った漱石にこの「悲觀は樂觀」を如何に解さざるや。(湘南)


(下野通信)○ forget-me-not 勿忘草を 何時までも
  
  わすれなぐさ  ヰルヘルム・アレント 上田 敏 訳
                    
    ながれのきしのひともとは、
    みそらのいろのみづあさぎ、
    なみ、ことごとく、くちづけし
    はた、ことごとく、わすれゆく
     (『海潮音明治38年10月刊所収)http://www.geocities.jp/sybrma/06wasurenagusa.htm

「季節の花 300」の「勿忘草(わすれなぐさ)」の項を開いてみる。冒頭に、「forget-me-not」と別記してある。 「フォーゲットミーノット」と読むのだろう。これが本来の名前のようだ。和名である「勿忘草」がこの名前の和訳なのだとか。素敵な画像にしばし見入った上で、さて、ドイツの伝説がここでも紹介されている(と、画像の撮影の日付に注目。平地では四月、高原では八月から十月。向島百花園は平地だから、やはり九月に咲くのは謎のままだ):「ドナウ川の岸に咲くこの花を恋人ベルタに贈ろうとして、誤って川に落ちて死んでしまった騎士ルドルフの物語からきている。その後ベルタはその言葉を忘れず、この花を一生髪に飾り続けた。」http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/04/post_c2b1.html http://www.google.co.jp/images?hl=ja&source=imghp&q=%E5%8B%BF%E5%BF%98%E8%8D%89&btnG=%E7%94%BB%E5%83%8F%E6%A4%9C%E7%B4%A2&gbv=2&aq=f&aqi=&aql=&oq=&gs_rfai=


(湘南通信)○ 花と小父さん何んでそなこと言える訳

  花と小父さん  浜口庫之助 作詞/作曲

    小さな花に 口づけをしたら
    小さな声で 僕に言ったよ
    小父さんあなたは やさしい人ね
    私を摘んで お家に連れてって
    私はあなたの お部屋の中で
    いっしょうけんめい咲いて
    なぐさめてあげるわ
    どうせ短い 私の命
    小父さん見てて 終わるまで
    かわいい花を 僕は摘んで
    部屋の机に 飾っておいた
    毎日僕は 急いで家に
    帰って花と お話をした
    小さなままで かわいいままで
    ある朝花は 散っていったよ
    約束どおり 僕は見ていた
    花の命の 終わるまで

 青学クリスチャンの浜口庫之助のヒット曲に「バラが咲いた」がある。こんな歌詞の中にもゲーテが潜んでいるとは、いまさらにしてドイツで開花した神秘主義の意義を問う。われわれのご主人様たちの故郷はことごとくドイツであるからだ。そうゆう訳で歌詞の花は桜ではなさそうだが、あえて春の花で通す。話は変わるが、現在NHKの大河ドラマは『竜馬伝』をやっている。民放のワイドショーで、漫画家の黒鉄ヒロシがこんなことを言っている。「あれだけ民衆に人気のあった清水の次郎長が廃れていったのは、司馬遼太郎が急にマスコミに登場する時期と不思議に一致する」と。藤村少年が自覚してここらあたりで時代を直観していたとは思わないが、時代の背後に気づきし者ときにチンプンカンプンな発言をするものだ。そもそもプロパガンダとは何ぞや。ファッショよりファッションに似て心地よき風を吹かせ民衆の知らざるうちに愚直へ洗脳しているやも知れぬのだ。「花と小父さん」なら伊藤きよ子と思うが、好みで藍美代子の方をアップ。ついでに「忘れな草」も藍美代子でアップあっぷ。
http://www.youtube.com/watch?v=dpuiTUdSrjQ 
http://www.youtube.com/watch?v=gL5lYLYAODo&feature=related