居ても立っても九月の蝉は居られない

イメージ 1

   いてもたってもくがつのせみはいられない


 コンサート・ホールで男に出会いました。出会ったその日からデイトの約束をとりつけ、それが一年近く続いたのでありますが、男は、最後の最後まで、私の名すら知りませんでした。それというのも、私が世間に驚くほど無関心だったせいなのでありますが、自らの名すら必要としないほど、世間を当てにしなくなっていたということでもあるのです。


 事情がありまして、ある日突然周囲が疎ましくなりまして、気配りや、心遣いの人間関係が煩わしくなりまして、気がつくと、己れのうちを覗いた世界にしか現実も興味も見出せない少女になっておりました。そんなころに男と出会ったものですから、男もたまったものではないと思うのですが、それなら男も男で、そんな私を、戯れる鳩か子猫でも眺めるように見守ってくれておりました。それとも、あれは私をあしらっておいでだったのでしょうか。


 自分でいうのも何なのですが、身構えた私ならもう立派に三十女に見えます。しかし口調は幼いのです。ときに男言葉などを駆使します。そしてその主張も直情なので、そのうち男も、私が未成年で自分の半分にも充たない歳ではと不安のよぎることもありました。しかし私はといいますと、そんなことにもとんと無頓着でありまして、「ワタシはプロコフィエフと誕生日が同じなの。ホロスコープをつくって確かめたの。だからワタシがどうゆうワタシか、ワタシのことはワタシがいちばん知ってるの」そんな言い方をしては、ショルダーバックに忍ばせている占帳などを覗き見しているのでございます。そんな無邪気にも小利口な小娘との付き合いは、すでに中年に馴染んでしまった男には清々しくもあり、またその別れは、炭酸飲料のゲップの後味さえしたことでありましょう。

         ※

 「私は、誰とでもスムーズに別れる方法を知ってるの。教えてあげましょうか。まず相手を冷静に眺めるの。見るって、冷静って、実は軽蔑することなのよね。一定の距離をおくって、引くことだよね。気持ちも態度もね。そしてここぞという機会を待つの。待ってそのときが来たら目を細めるの。そして、やんわりかぶりを振るの。二人の間にガラス戸が降りる感じね。そのとき思うわ。少しは利口な男なら、もう駄目だなと」