新年は下駄の遠去る音で来る

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京都にある「駐輪禁止」の張り紙が話題になっているそうです。「駐輪禁止」とは書かず「自転車捨て場」と書いてある。しかも「こちらの自転車はご自由にお持ち帰り下さい」とあるではないか。~「天才か」「容赦ねえ」なんて声も・・・・。まだ京都には日本人の粋と機知が残っていたということでしょうか。。。
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    ○ 新年は下駄の遠去る音で来る







-----------「逝きし世の面影」 渡辺京二著------------------------------------


チェンバレン
古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった。

●ボーヴォワル
この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。

●A・ベルク(オイレンブルク使節団報告書の著者)
彼らは、話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである。

●ジョン・R・ブラック(『ヤング・ジャパン』著者)
彼らの無邪気、素直な親切、むき出しだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、
あるいは村民からたえず受けるものだった。

●ハリス将軍でさえも
質素であることについて、「日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルだということである。」

●モース(「日本人の住まい」より)
・・・そのような小屋まがいの家に居住している人びとはねっから貧乏らしいのだが、活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである。少なくとも日本に於いては、貧困と人家の密集地域が、つねに野卑と不潔と犯罪とを誘発するとは限らないのである。

チェンバレン
金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである。

●リンダウ
一般的に言って日本には貧民はほとんどいない。物質的生活にはほとんど金がかからないので、物乞いすらまさに悩むべき立場にないのである。・・・路上や大通りで物乞いに出会うことはめったにない。ほとんどいつも寺院の廻りにたむろしているのがみられる。

エドワード・スエンソン(仏蘭西海軍の一員 デンマーク人)
日本人は戸を開け広げたまま。どこかの家の前に朝から晩まで立ちつくしていればその中に住んでいる家族の暮らしぶりを正確につかむことが出来る。・・・夫婦けんかをはじめ、ほかのありとあらゆる葛藤の場面が見て取れる。

●アーサー・クロウ(「日本内陸紀行」) 明治14年中山道
ほとんどの村には人気がない。住民は男も女も子供も泥深い田んぼに出払っているからだ。住民が鍵も掛けず、何らの防犯策も講じずに、一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている。

オリファント
われわれの部屋には錠も鍵もなく、解放されていて、宿所の近辺に群がっている付き添いの人達は誰でも侵入出来る。またわれわれは誰でもほしくなるようなイギリスの珍奇な品をいくつも並べておく。それでもいまだかつて、まったくとるにたらぬような品物でさえ、何かがなくなったとこぼしたためしがない。

●カール・ムンツィンガー(「ドイツ人宣教師の見た明治社会」)
私は全ての持ち物を、ささやかなお金も含めて、鍵も掛けずにおいていたが、一度たりと無くなったことはなかった。

●モース
錠を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭をおいたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数10回出入りしても、去ってはならぬ物には決して手を触れぬ。広島の旅館で時計と金を預けたが女中は盆に乗せただけだった。一週間後この宿に帰ってみると、時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残して行った時とまったく同様に、蓋のない盆の上にのっていた。

●W・G・ディクソン(維新前と維新後に日本を訪問した英国人)
私の日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、大声で言い争ったりしたのを見た覚えがない。また中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない。

●モース
貧しい漁師や行商人、宿屋の女中の態度や振る舞いに嘆声が出る。そして東京で有名な貧民窟で、声高い叫びも怒鳴る声も聞かず、目のただれた泥酔者も、特に不潔な子供も見なかった。このスラムともいうべき場所で手当たり次第に拾い上げた百人の子供について、私は、彼らがニューヨークの五番街上で手当たり次第に拾い上げる百人の子供よりも、もっと丁寧で物腰はしとやかに、より自分勝手でなく、そして他人の勘定を思いやることがはるかに深いと敢えて言う。

オールコック
すべての職人的技術において、問題なしに非常な優秀さに達している。モースはアメリカの大工が高価な機械を使うよりも
日本の原始的な道具を使う日本の大工の方が優秀であるという。

●スミス主教 制度化された売春について
・・・顔立ちのよい女性は堕落した両親によって売られ、幼い頃から恥辱の生活にゆだねられる。奉公の期限が満ちると、日本の中流階級と結婚することも稀ではない。男達はこういう施設から妻を選ぶことを恥とは思っていないのだ。

●アリス・ベーコン
日本人の中で長年暮らした外国人は、美の基準が気付かぬうちに変わってしまい、小さくて穏やかで控えめで優美な日本女性の中に置くと、自分の同胞の女性が優美さに欠け、荒々しく攻撃的で不様に見えるようになる。

●ホジソン(「長崎函館滞在記」)
「この島国には多くの真の家庭愛があり、老人達は敬われ、子供は甘やかされている。」のに「ただ一人、妻だけが哀れな存在」だという。それは「妾と同居せねばならぬから」だそうだ。

●グリフィス
アジア的生活の研究者は、日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信をもっている。

●モース
屋敷の召使いの女の子(9つか10歳)を連れて夜市を散歩したとき、十銭ずつ与えてどんなふうに使うか見ていると、その子らは地面に座って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、すなわち乞食の笊(ざる)に、モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。

●フォーチュン
・・・英国にはこれと較べられるようなものはないと認めないわけにはいかなかった。拾い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、その木立は道を縁取ってすばらしい日陰を作り出していた。・・・風景はたえず変化し、しかもつねに美しい---丘や谷、広い道路や木陰道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる。

ジーボルト
・・・両側に緑の苗床や菜園があり、松林を通り抜け、村々の間を通るよく手入れされた道は、わが故郷の公園にある散歩道に似ていた。この道は、曲がり角に来ると新しい景色が旅行者を驚かすように考えて作ったように思われる。

●ギメ
日本人はなんと自然を熱愛しているのだろう。・・・大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな間隔と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活をなんと上手に組み立てることを知っているのだろう。

●マクレイ(Maclay,ibid.,p) 明治7年、日光旅行途上にて
日本の犬は甘やかさている。彼らは道路の真ん中に寝そべって、道をあけるなんて考えもしない。気のよい人力車夫達は、彼らにぶち当てるなどけっして考えつきもせず、つねに車を片側に寄せる。そして犬を叱るが、犬の方は尾を振る始末。

●バード
馬は打たれたり蹴られたりしないし、なだめるような声で話しかけられている。概して馬の方が主人よりよい暮らしをしている。おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ。馬に荷物を乗せすぎたり、虐待するのを見たことがない・・・馬が死ぬと立派に葬られ、その墓の上に墓石が置かれる。

●カッテンディーケ
日本人が死を恐れないことは格別である。・・・近親の死に対して悲しまないことはないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。

●モース
荷車を引く牛の頭上に莚(むしろ)で日除けを設けてあるのを見て感動する。

●ヴィシェスラフツォフ
日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、宗教そのものにはいたって無関心で、宗教は民衆の精神的欲求を満足させる者としては少しも作用していない。それに反して迷信は非常に広く普及していて、・・・


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 日本人に出会った西洋人には、日本人が無宗教に映るらしい。あれほど神社がある。あれほど寺がある。檀家もあれば氏子もいる。しかしそれが信仰心と結びつかない。神や仏への信仰より迷信に従っているように映るのだ。それは何故か。それは、もともと我々が古人から無意識のうちに神の子・仏の子・天の子と認識していたからではないか?


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