ネット新連句(歌仙)「塚本邦雄・汨羅(べきら) 變」~(三)三

リレー:[夏石番矢→大西泰世→橋本夢道→住宅顕信→渡辺白泉→三橋敏雄→西東三鬼→金子兜太高柳重信寺山修司北園克衛塚本邦雄]


ネット新連句(歌仙)「塚本邦雄・汨羅(べきら) 變」~(三)三

スタート 平成二十一年十二月 二日
ゴール  平成二十一年十二月  日 
メンバー 小童(B)・宣長(B)・不遜(B)

(一) 正調

発句  今日こそはかへりみなくて刈り払う  (塚本) 雑
脇    帝王貝殻細工百本         (邦雄) 雑 
第三  寒星の針穴一つたゆたひて       小童  冬
四    皇帝ペンギン悴む朝         宣長  冬
五   めぐり来て若き麒麟が月仰ぐ      不遜  秋月
六    素数字余り錦秋の故里         小  秋

(二) 破調 

一   本名の文学に対する仮名の文学      宣  雑 
二    マイナス×マイナスはプラス      不  雑
三   エロスの矢ゆり族ばら族差別せず     小  夏恋
四    常夏国心中湾悶絶           宣  夏恋
五   胸痛い指切りげんまん針千本       不  雑
六    冷血の指揮者ムラヴィンスキー     小  冬
七   甘えの衣さらり脱ぎ捨て我が冬の旅    宣  冬
八    「二五四三」を虫が奏でる       不  秋
九   月に覚(さ)む「双子死産」と読む墓標   小  秋月
十    指折り数え余る兄弟ありや       宣  雑
十一  花あらば「誰か故郷を想はざる」     不  春花
十二   「ピアノ液化」す春の訪れ       小  春

(三) 乱調

一  玉音を玲瓏と聴きなすや危うしニッポニア日本    宣 雑
二  突風に生卵の割れるのをを見ている歌人は胡散臭いゾ 不 雑

三 小 雑不可
四 宣 オール二去り


(讃岐通信)

十一  花あらば「誰か故郷を想はざる」     不  春花
十二   「ピアノ液化」す春の訪れ       小  春

(三) 乱調

一  玉音を玲瓏と聴きなすや危うしニッポニア日本   宣 雑 


【花クレヨン】塚本邦雄創刊歌誌「玲瓏」【大紀元日本10月24日】
 玲瓏の 玉わりなして 碧き地球(ほし) 一つ生(あ)れませ のみと(喉)の空に
金属や玉などが、曇りなく透き通るような音を発する様を「玲瓏」という。美しく輝き出でて、魂を清める玉のような声(玉音)のことをも指し示す。玲瓏に集いし人たちは、このような玉の触れ合う音を一度ならず、聴き留めたことがあったのだろう。
 短歌の一文字がすべて玲瓏の音を発して、一人ひとりの魂(たま)歌が遊星の空に献じられる。玲瓏の歌人たちの作歌はいずれも真新しい魂胆の工夫多く、音なしの調律をもって紐解かなければならないものばかり。
「玲瓏」は1986年1月16日、塚本邦雄選歌誌として第1号の産声を上げた。檻の中に呪縛された「大和言葉の歌姫」を解き放つ前衛・革命歌の清き流れとして、塚本氏亡き後(2005年6月9日逝去、神変忌と名づけられた)も忽然と異彩を放ち続ける。
 たとえば水無月・神変忌の枕辺に立った夢の温もりを、寝起きのベッドの下の薄紅(くれない)色の暗がりに、一度は探してみたことのある人なら、玲瓏歌人の透き通り響く大和言葉にきっと魂(たましひ)を揺すられる。
 歌(うた)不歌誌 水無月の碑(6月9日)の 神変忌 玲瓏の卵殖(ふ)ゆ 歌塚の邦(くに)


(下野通信)

二  突風に生卵の割れるのをを見ている歌人は胡散臭いゾ 不 雑

http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/57474986.html



○ 革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ(『水葬物語』巻頭歌)
○ 日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも(『日本人靈歌』巻頭歌)
○ 突風に生卵割れ、かつてかく擊ちぬかれたる兵士の眼(『日本人靈歌』)
○ 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(『感幻樂』)

 これらに語釈を付するとすると、「革命歌作詞家」・「液化してゆくピアノ」・「日本脱出」・「皇帝ペンギン」・「兵士の眼」・「冴ゆる」・「あやむる」などであろうか。しかし、これらの措辞などが理解できたとしても、なかなか、これらの作品に託した邦雄の意図らしきものを感知するのは容易ではなかろう。
また、二首目は、「日本脱出したし□皇帝ペンギンも」と、□のところが一字分空白となっている。三首目は、「突風に生卵割れ、」の句読点がある。また、「擊ち」は旧漢字である。四首目も、「戀はば」と旧漢字で、「冱ゆる」・「あやむる」と旧仮名の文語体が目立つ。そして、何よりも、これらの全てが、いわゆる、短歌の「五七五七七」のリズムではなく、ことごとく、破調のリズムの邦雄節ともいえるものであろう。
ひるがえって、これらの四首を見ていくと、先に、克衛・重信の作品で見てきた、「新しい定型の重視(形状やパターンに独特の視線を注ぐ空間認識)」と「新しい世界観(ことばの意味よりも文字のかたちなどを重要視する視覚的な造型理念に基づく価値観)」(その二で触れた事項)との、この二方向で、邦雄は邦雄のやり方で模索していたということに、気がつくのである。そして、その模索が、克衛や重信と違って、「五七五七七」という伝統的な柵の世界での、ギリギリの挑戦であるところに、何故か、邦雄の歯軋りのようなものも伝わってくるのである。
とまれ、これらの邦雄の作品を鑑賞するのに、克衛・重信の作品と同じように、特に、「新しい世界観(ことばの意味よりも文字のかたちなどを重要視する視覚的な造型理念に基づく価値観)」ということを念頭に置いて、見ていくことが肝要のように思われるのである。


(湘南通信)

一  玉音を玲瓏と聴きなすや危うしニッポニア日本    宣 雑
二  突風に生卵の割れるのをを見ている歌人は胡散臭いゾ 不 雑
三  吾は「家畜人ヤプー」されど桜前線北上せり     小 春      

2009.12.11【中央日報
韓国・米国など多国籍研究チームがアジア人の移動経路と遺伝的特性を明らかにしたことは、世界民族移動研究に大きな影響を及ぼす見込みだ。研究方法や対象とした民族の数の面でも従来の研究より範囲が広く、今回提起された「単一経路流入説」が重視されている。学界の支持を受けてきた「多重経路流入説」の場合、数万年前に東南アジア人が南側から北東アジア側に北上し、ヨーロッパ側に近い中央アジア人が南下してきたと推定された。しかし今回の研究結果は全く違う。東南アジア側から単一経路で北東アジア側に流入したということだ。韓国生命研究院のカン・ホヨン博士は「73民族2000人を対象にした広範囲な研究は初めて。新しい遺伝子追跡技法を活用し、信頼性が高い」と述べた。従来の民族移動経路を追跡した研究は約10民族を対象とし、20-30個の遺伝子を追跡した。今回の研究は約5万6000個の遺伝子を分析した後、似た遺伝子が多いか少ないかに基づいて民族の移動路を追跡した。各民族間にどの程度の差があるのかも今回の研究で確認された。韓国人とアフリカ人の差を100とした場合、韓国人と中国人は5.03、韓国人と日本人は4.23、中国人と日本人は6.99、韓国人とヨーロッパ人は58.2だった。韓国人は日本人と最も近いということだ。これは「日本人は韓国から渡った」という学説を傍証するものだと、研究チームは説明した。 今回の研究結果は、アジア人の体質に効果的な薬物、病気の発生経路などを分析するのに活用されると期待されている。

2009年12月11日【時事通信
日本人は南から移住か 遺伝情報でルート推定。東アジア、東南アジア、南アジアの住民のゲノム(全遺伝情報)の分析によって、日本人の多くは、アフリカからインドに入り、タイなどを経て北に向かった集団の流れをくむと推定されるとする研究結果を国際チームがまとめ、11日付の米科学誌サイエンスに発表した。東アジアの人は、主に南から来たという説と、少なくとも北からと南からの2ルートはあったという二つの仮説があり、今回は前者をより強く支持する結果という。

 どうしてこのような異なるニュースになるのか。これは共に今日のニュースである。ここに注目してほしい。我々は、マスコミというものが如何なるものか知っておく必要があるのだ。その背後にある支配者たちを。あるいはご主人様を。