拝啓~常盤御前様(下)

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 不可解なのはそれだけではありません。
 貴女様の生死の謎はもとより、墓とおほしき供養塔が、各地に点在することであります、岐阜の関が原、群馬の前橋、鹿児島の郡山、そして埼玉の飯能、それらに共通するのは、後に供養塔を建てたと一様に前置きのあることです、それを墓と考えるから胡散臭いのでして、縁のある土地に、後に供養として建てたと思えば何も不思議はないのです、そしてもう一点は相違です、関西では貴女様が山の中で賊に殺されたとするのに対し、関東では旅疲れや病死にとどめていることです、謎解きのヒントは、どうもここら辺にありそうです、前橋も飯能も余りにも鎌倉に近い、鎌倉方に何か不都合でもあって‥‥なんて勘ぐりたくもなるのです。

 貴女様の墓として、最も有力な関が原説を否定する資料が前橋にあります、貴女様は成木の館舎を抜け出し前橋の荒牧の伊勢屋敷をお訪ねになりました、何もそのころ伊勢様がここに移り住んでいたとは申しません、しかしここは確かに義経様の家臣であった伊勢三郎義盛ゆかりの地なのであります、その近くに句碑が建っております、南橘村誌によると、「ある家に九寸五分の守刀と時世の書があったのを後の人が刻んで建てたもの」と、赤城南麓の民俗は紹介しています。

       常盤なる松のみどりに尋ねきて

             あわずにかへる弥陀の浄土へ 

 「松」とは時期でしょうか、もし「尋ねきて」が事実なら、平家滅亡後となり関が原説は崩れます、かといって前橋説が有力ともいえないのです、この句の「尋ねきてあわずに」は「会いたくも事情あり」と穿って読めなくもないのです。そこで俄然注目するのは飯能説です、ここ飯能は義経様とも貴女様とも全く無縁の土地柄、その多峯主山は、関が原で語られる「山中」であること、とすると「賊に殺された」は何を指したでしょう、その謎の核心が西へ伝わり、東海道中山道、あらゆる街道の集まる関が原宿に、「よしたけ」の伝説とともに根付いたのではありますまいか、しかるに、貴女様の享年は五十そこそこ。
 
 やっと貴女様の終焉の地に辿り着けました。
 ボクを出迎えたのは法きょう印塔という供養塔一基でした、それには「宝暦十三癸未二月☐ 領主性山玄海権☐☐」と刻されており、宝暦というから一七六三年江戸の中期、領主様は出家されていたのでしょう、台座には、白い皿が一つ置かれておりました、それがものの見事に真っ二つに割れておるのです、それは何を伝える予感でしょう、塔はボクの背より高いのです、ボクは貴女様のために持参したペットポトルの水を注ぎます、ぐるり腰まわりに注ぎます、殿方に翻弄されたであろう貴女様のサガを労うためです、ボクには、貴女様が女として人の羨むものだったとはとても思えないのです、貴女様は一生に一度も恋をなさらなかった、いや、恋すら出来ない程であったと想像します。

 義朝様が清盛様と戦って亡くなられたそのとき、貴女様は二十三歳でした、子は七歳に五歳に当歳の義経様、この幼子をつれ、大和は山中を逃げ惑いておいででした、そこへ母上様の人質になられたとの報、それで清盛様のもとへ自ら出頭されました、母と子の命乞いです、その後も清盛様との間に一女を儲け、清盛様の正室・時子様の嫉妬を買い、一条様のもとに払い下げ婚させられます、吾妻鏡によれば、義経様が追われしとき、鎌倉方の追討使に捕らえられた貴女様は、自らの保身のため義経様の情報を漏らしたとあります、それは事実だったでしょうか、もしそれが事実なら、貴女様が義経様の後を追い奥州へ向かわれた理由は、ただ一つしか考えられません、貴女様がお生れになったのは七赤の戊午、中年は人気を博するも晩年は運に見放される星、そんな貴女様の波乱を、後世のものは「天下のさげまん」などと話題に事欠きません。

       源平に咲いて貞女の名を残し

       ぎりぎりのところで常盤は色をかえ

 俳人松尾芭蕉も、関が原の貴女様の墓前で、

       義朝の心に似たり秋の風   芭蕉

 貴女様の初夫であられた義朝様は、後白河方の宣旨とはいえ、実父と九人もの弟を殺されました、それをともに戦った清盛様とも争い、逃げのびた先の入浴中に、家臣の裏切りにより暗殺されます、貴女様の肌を交えた殿方は、貴女様の目の前でことごとく転落してゆきます、貴女様の業とはそのような迷いであったでしょうか、同じ転落であっても、木曽義仲公の忠信に心底感涙を示された芭蕉翁の、貴女様を詠んだ「義朝の心に似たり」とは、実は、その変わり身からくる迷いのことだったでしょうか、それが「秋の風」であったでしょうか、ボクは貴女様を哀れとお慕いはしても、貴女様の迷いを責めるなど決して出来ません。ボクは今ここに、貴女様の供養塔の前に、一つの意志を小石に包み埋めて帰ろうと思います。
                   
                                         (了)