靴底の悪魔

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 靴 底 の 悪 魔

                    三年H組 /某山某男


   十六世紀の半ば、イエズス会フランシスコ・ザビエルと共に日本へも悪魔
  がやって来た。一行がインドのゴアを出港するとき、乗員の一人の靴底にひっ
  そり潜んでやって来た。そして、ザビエルが薩摩で足どめをくらっているすき
  に靴底からこっそり抜け出し、九州から土佐へ上陸し、一行よりいちはやく京
  へ上った。しかし権力者への根回しに失望した悪魔は、当時盛んだった農民一
  揆に目をつけ一向宗接触した。遅らばせながら、イエズス会も信長の庇護の
  下に日本の西半分まで入り込む。しかしその布教は、北は北陸の山中境界で足
  踏みしていた。これこそ悪魔の面目躍如、たった一人で、イエズス会の進行を
  阻止したのである。しかしながら何を思ったか、悪魔は四国の土佐へ引返し、
  そのままトンボ返りでゴアへ帰ってしまう。それは謎だが、それでも靴底の悪
  魔は今なお北陸の地に名残りをとどめている。その化身を置き去りにしたから
  だ。その四百年後、それを一人の探究家がつきとめた。人里離れた洞窟に身を
  潜めている化身を発見した。そして発見後間もなく、その発見者もまた自らの
  化身となった。これも謎である。故にこの話は誰も知らない。故にこの事実は
  無かったことにしてくれ。さらに四百年後の探究家の出現がために。

                               エイメン




 
 そうか、これが化身かと私は思った。そう思ったが化身の意味を考えた訳ではなかった。辰男が失踪して二十年経っていた。化身とは化石のことかと思っただけだ。その化身が、二十年という歳月を経て、いみじくも我々の手によって発見された。これは偶然以外なにものでもないが、私にはこれが何か招かれたような、妙にほっこりした衝撃で受け止めている。化身を発見したから散文の意味が解けたのか、解けたから化身と確信したかも考えなかった。私は、我々がこれだけの情報を提供したのだから、当然それなりの見返りを求めてもよいのではないかと思った。そこで元刑事さんに、かつて大原から聞いていた嘱託殺人の噂を尋ねてみた。
 すると元刑事は、それを言下に否定した。
 「それはありません。あくまでも兪見子さんは自殺でした。これは疑いようのない事実です。兪見子さんの場合は、現場の状況所見から縊死と検視されたのです。定型的縊死といって、首吊りの自殺では最もノーマルなケースでした」
 しかし大原は、自殺にしては不自然な紐の結び方とか言っていた。
 「……紐の結び方に不自然ということはありませんでしたか」
 私がさらに突っ込むと、
 「噂は何か勘違いをしておられるのではないですか。定型的縊死というのは、首吊りの姿勢をいいます。立位で、足を宙に浮かせた状態で、首に百パーセントの体重がかかるのです。そのとき首には紐の跡がつきます。それを索溝というのですが、その走行や深さを注意深くしらべれば、どんな紐でどんな締め方をしたかが判ります。もっとも例外もあって、定型的縊死に見えても絞首の場合もなくはありません。それは地蔵背負いといわれる絞首の場合で、背の高い人や、片腕の不自由な人が、後ろ背負いで担ぐように絞首すれば、定型的縊死と同じ索溝が出ます。しかしながらその場合は、かならず顔面に鬱血した浮腫状が出るものなのです。被害者がもがき苦しむからです。しかし兪見子さんの場合は、それはそれは美しい夢心地の顔でした」
 私は、さすが老獪な刑事だと感服した。
 的確に否定するものの含みを残して用心深いのだ。要するに、被害者が苦しみもがかなければ地蔵背負いのシーンもありうると言っているのだ。しかし私は、そんなことはどうでもよい心地があった。元刑事の口にした「それはそれは美しい夢心地の顔」に、兪見子を思い出していた。辰男の背に背をゆだねる兪見子の無表情を恍惚で思い出しているのだった。さらに兪見子の唇からこぼれる「タ・ツ・オ」の呻きを、さてそれをどこで聞いたのだったかを思いながら。
 追い打ちをかけるように新一がたずねていた。
 「では検死解剖というのは、どうでしょう」
 元刑事は、又かといった怪訝の顔で答えている。
 「その事実もありません。何しろ死体解剖保存法第八条という法律がありましてね、それには、死因の判明しない場合に解剖出来るとあります。つまり、死因に疑いのある場合以外の解剖は出来ません。兪見子は定型的縊死ですし死因は明らかでした。検死解剖などという噂はどこから出たのでしょう」
 「たしか噂では、もっぱら検死解剖で兪見子が妊娠三か月だったと……」
 新一がそう言うと、元刑事は照れたような呆れ顔で、
 「それはテレビドラマの影響ですかね。困りましたなぁ」
 「しかし……」それでも新一は不満げに納得しなかった。
 「しかもですよ、そもそもケンシといっても、検視と検死は違います。検視は警察官が行うもの、それに対して検死は医者が行うものです。さらにその検死において死因に疑問あるときのみはじめて解剖という段階をとるのです。その辺のところを何か誤解されておられるのではないでしょうか。しかも、しかもですよ。死人にもプライバシーがあるのです。変死体として検死するのも、そもそもその人権擁護の立場から行われるもの、つまり死人にも人権があるということです」
 目を皿にして聞いていた新一が元刑事と別れた後、我々はこんな会話を交わした。
 「さすがは元殺人課の刑事ちゃ。一癖あって何か隠しとる。あんな仕事を長年やっとると、会う人会う人が胡散臭く映るんだろうなぁ。我々も少しは疑われとったかな」
 「……そうかも知れんが、言葉に嘘はないだろう」
 「スキを見せないだけちゃ。あえて地蔵背負いの話をするのも怪しいし、死人にプライバシーも腑におちん。とにもかくにも兪見子の妊娠は怪しい。あれはどちらとも取れる言い回しちゃ」
 「……しかし職務に忠実という立場上あれでいいんだよ。我々が内々には少しも触れなかったように、元刑事さんもあえて推測には触れなかっただけだ」
 「そう言って、お前はいつも冷めたふりをする。あえてと言うが、あえて言わないのも立派に一つの嘘ちゃ。俺は人の噂ばかりしとる写真家の大原は好かんが、奴の言ったことは信じる。写真や絵はじかに見えるから信じる。しかし法律をこねくり回したり、言葉を玩弄する奴は信じない。文学かフィクションか知らんが、虚と真の狭間を戯れとるだけちゃ」
 新一はそう言うのだが、その虚と真の狭間にこそ当時の我々の実感があったのである。辰男の妄想がそうで、私も偶然や無意識のそうした何か透けて見えそうで見えないもの、一言でいえば操られているような力、口にだせば現れるような。
 「……お前は見えないものは信じないというが、それは余りにも乱暴な考えだぞ。それを徹底させれば、自らの意識さえ否定しかねないではないか。むしろ俺は、見えるものを過信し、それに囚われているからこそ見るべき奥のものが見えて来ないんだと思う。兪見子の気持ちだって外からは何も見えない。彼女は常に無表情で、見えないものが見えるものを制していつも寡黙だった。だから俺は今でも兪見子の顔すら思い出せないでいる」
 「俺はそんな難しいことを言ったつもりはない。曖昧にして誤魔化すなと言っとるだけちゃ。見えないもの見えないものと言うが、何しろこの世は見えるものだらけちゃ」


                            小説「ヴォカリーズ」第五章より