ブログのお引越しと神武の子孫

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 Yahooなんて決して旨味のあるブロクではなかったが、慣れ親しんだ居酒屋みたいなもの、それが急に立ち行かなくなったから、店終いだから、客は出て行けという。勝手なもんだ。何ていうか、この無責任さは、なるほどソフトバンク孫正義だ。勝手に無料で軒を借りていた手前、偉そうなことは言えないのですが、引っ越しツールを指定されたブログがまたそれなりで。Livedoorはラインで新大久保だし、Amebaなんか出会系ミーハー・スクランブル道玄坂Seesaaならもうすっかり巣鴨だっぺ。んで、どこへ行かされるの?

 こんな日本にさせられて、いまさら
 何処へ行けば気骨含蓄ある日本人に出会えるというのか。

 そういえば、自ら神武の子孫だと名乗っている実にマニアックな古代史おばさんがいるんスよ。当人はパソコンなどやらなさそうな顔して、これも異聞古代史マニアでは今や超有名な動画に登場し、ともかくよく喋る、よく調べ歩いている。

 私も行ってきました。
 おばさんの断言する神武が即位した神社とやらへ。

 それが写真の神社です。

 なんとこの神社の横に慶応大学湘南キャンバス、やって来たのは最近です。
 このすぐ隣に御所見という住所があります。
 すぐ北には桓武天皇の第三皇子葛原親王の宮、彼が桓武平氏の祖です。
 さらに北の伊勢原には、天武に敗れ去った天智の子・大友皇子の墓が。
 さらに大和と名のつく市、ここがマッカーサーの降臨した厚木基地です。
 秦氏に符合する秦野という名の市があります、ここは安芸へ出向いた毛利の郷。
 相模の国には語呂合わせの地名を多々残しております。

 飛鳥川茅ヶ崎の千の川、入鹿の首が飛んだのは藤沢の烏森皇大宮。
 ここを今は湘南といいます。神武の子孫がそうゆうのだからそうです(笑)

 万葉集に出てくる歌にカモメが出てきます。大和盆地にカモメがいますか?
 東京湾には都鳥がいました。詠まれた言問橋は歌詠みには名所です。
 今はスカイツリーが見下ろしていますがね・・・。

 もともと奈良は奈良にはなかったのです。奈良で最も古いのは三輪山で出雲系です。
 そこへ即位した飛鳥の天孫系が船で名ごと関西へお引越ししました。
 帝が相模を捨てたのは富士山の噴火でしょう。 
 徐福とか富士王朝とか宮下文書とかの話もありますしね。
 関東一円ローム層で覆われているのが証です。 

 江戸の関所は箱根ですが、ヤマトタケルのころは足柄です。
 有名なタケルの吾妻の名歌はここで詠まれました。
 後に足柄峠に関所が、今はゆかりの歌碑を集めて万葉公園に。
 南の湯河原温泉にも万葉公園を、ここの日帰り万葉の湯はボクもよく立寄ります。
 ここ相模の国こそ万葉ゆかりの地なのです。
 
 このおばさんとはお付き合いなどないですが、実は二か月ほど前、偶然このおばさんと出くわしましたです。小雨の残る朝でした。江ノ電に腰掛けた真正面に、小太りのぽっちゃり顔、あの人だよとばかり、まじまじと詮索させてもらいました。歳は還暦来たか過ぎたかといったところ、間違いありません、動画の中でよくお見かけするおばさんでした。七時頃ですから勤めかと思いますが、もしや朝帰りだったやも知れません。駅は七里ヶ浜、辛子色のコートを軽く羽織り、駅から真っ直ぐ坂を鎌倉山方面へ登っていかれました。