空蝉(上)

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        空(うつぜみ)蝉




 まだ私が生きていたころの話です

 その年は気象異変とかなんとか申しまして、いつ入梅したかも判らない長梅雨の、まだ明け宣言も出ないころだったと思います、私は男に、一度でいいから蝉の脱皮をこの目で見たいとすがったことがあります。そんな思いつきも、幼いころの記憶があったからに違いないのです。

 かといいましても、何しろ極々幼なかったころの記憶です、その見たものも実際のものであったかどうか、ともかく、私の記憶では、鎌倉のとあるお寺、その裏山の雑木林、ここまでは間違いないように思うのです。

 その後は、幼さゆえの想像だったやも知れません、ただただそのときの映像が、この世とも思えないものとして、今も私を捉えてはなさないのです。

 それは幻想の世界でした、森の小枝という小枝を、数珠つなぎに行列する蝉の脱殻群、その数は星の降るほどの数に思えました、それを驚きの目で見ている自分、その自分の姿を、記憶として記憶していたのです。

 そんな記憶を、二十歳を迎え突如思い出したのも、縁といえば縁、今年こそ是非その脱皮をと期してまいりました、そしてその日を、満月と決めておったのです。

 なんでも、南半球の珊瑚礁では、満月の日に珊瑚が一斉に産卵するといいます、そのとき、海一面を真っ赤に染めるともいいます、それはもう壮大な幻想であります、だったら、蝉とて一斉に羽化し、その透明な羽で一夜のうちに森に花咲かせないとも限らない、そんな勝手な想像もあったやも知れません、そんなことから、私としては、どうしても満月の夜でなくてはならなかったのです。

 しかし男はといいますと、のらりくらりの気乗りなし、そもそも脱皮といっても何日かもわからんとか、真夜中か、それとも雨だったら、などと、つべこべ渋っておるのです。しかし私は、その辺も下調べをしておりまして。

 アブラ蝉の羽化は、関東では七月上旬、時間は夕刻、それを男に教えてやりました、それでも男は不満そうで、その時刻にはもう寺は閉まってるとか申します、それも私は予測してましたから、裏道からこっそり忍び込む手筈まで伝えました。そうした私の用意周到に、男もやっと重い腰を上げ、何とか、満月の裏山をめざすことになったのです。

 その日は、真綿のような夕焼けに包まれた空で、小町通りの商店街を抜けますと、もうすでに先陣が競い鳴くのを耳にしました。小橋で川を渡り、住宅地の間の狭い路地を縫うように緑陰へ、その行き止まりの少しばかりうるさい下草の丘を這いあがると、もう境内でした。しかしその境内には、立入禁止のロープなどが張られてました、これだけは下調べしたはずの私の予想外、そんなドジとスリルも味わいましたが、ともかく先は山道、もう誰の遠慮もございません。

 尾根にとりつき、ほどよい勾配に一汗かくころ、木立ちもまばらになってまいりました、ささやかな峠です、その広場らしきに辿り着きますと、ここからは、ゆるりゆるりの稜線歩き、手にした懐中電灯が邪魔なほど明るいのです、そうですね、月光浴のプロムナードといったところでしょうか。

 歴史に踏み固められた土の道は剥き出しです、樹の根の這う間を懐中電灯でまさぐるまでもなく、あちこちに穴を見かけました、それは紛れもなく、蝉の、一匹一匹の這い出した跡でした、もう目ざとく、私は脱皮中の蝉を見つけました。

 そこへ男は近づきます、身を乗り出します、私は口に一本指を立てます、そうして男に注意を促しました、何しろ蝉に関しては、私の方が先生なのです。

 目を凝らしておりますと、すでに割れた蝉の背から、何やら頭のみ覗かせているもの、今にも飛翔せんと半身反らせているもの、みんなみんな喘ぎ喘ぎの最中なのでしょうが、目と鼻の先とはいえ、その動きが手に取るようにとまでは言いませんが、息遣いは何とはなしに伝わってきました、喘ぎの深刻を伝えるには、辺りはすでに、月の支配する静けさに満たされすぎているのです。

「ホントだね」

 男の吐息が肩先にありました、私はもう夢中でした、今の一瞬がとてつもない時間で、今私の目にしている一匹一匹が、特別に選ばれたもののように感じるのです。しかし不安もありました、しがみついている枝葉があまりに薄っぺらなこと、そんなことは何も気づかぬ蝉が、今にもこぼれ落ちそうで、見ている私はおっかなびっくりでもあるのです。

 それもそのうち、殻から頭ひとつ出していた一匹が、目にはっきり二匹に見えてきました、するとまた、私のうちに戸惑いがやってきました、いったいどっちが蝉なの? どうかしてます、一瞬どちらが本体か見失いました、判ってます、当然脱け出した方に意識の移っていることを、そのはずなのですが、ゼリー状の透けた無垢に、その実感はまだないのです。

 しかしよくよく見ておりますと、したたる透明にも、薄緑が見てとれます、それが繊細なガラス細工のようで、見ていて痛々しいのです、細い毛髪一筋でも傷つきそうに繊細で。

 そんな感じでボケーッとしている間にも、羽はいっちょうまえの形になっていました、絹をまとったようなひらひらに、薄っすらと筋が走ります、羽も外気に触れ、みるみる形が整ってきました、これらの変化は、もう私の想像とは別のところで繰り広げられる世界なのです。

 図鑑によれば、アブラ蝉は、樹の皮の隙間で卵のまま越冬します、そして翌年には幼虫になります、そして樹から地上へ這いおりると、前脚で掘り進みながら土中にもぐります、そうして根や葉を吸いながら、幾多の脱皮を繰り返し最終幼虫に育つのです、それまで丸六年、その間、ただひたすら土虫としての孤寂に耐えるのです。そんな図鑑からの受売りを、私は男にも話してやりました、それを聞いて男も、気の遠くなるような顔をしながらも、こんなことを申します。

 「……しかしだよ、六年経ったはいいが、地表はセメントとアスファルトで固められてしまっている、それを知て、蝉もこんなはずではなかったと頭を捻るだろうか」

 「なんて意地悪なの、今日はそんなこと言わないの」
 私は諭すように男を叱ってやりました、だって今日はこんな素敵な満月ですもの、すると男は弁解します。

 「……それにしても何と屈強な生い立ち、そんな蝉の忍耐に同情したんだよ」
 しかし私は怒りませんでした、満月は、そんな男の無神経も許せるのです、と言いながら、実は私も息苦しいのです、土中での幽閉の幼虫の忍耐が、そのまま今の私の一生に思えてなりませんでした、それを思えは、羽化してから一週間という蝉の短くも美しい寿命も、夢のような開放にも思えてくるではないですか。

 「何だか蝉の幼虫は胎児みたい」
 「……? 」

 「だってサ、息苦しいジャン。誰かさんが言ってたけど、胎児はね、すでにお腹の中で、この世で経験する一生を先に夢体験してるんだって」

 すると男は、ドキリとした顔で、
 「……その誰かさんとは何処のどいつだ、そんな怖いことを言う奴は」

 「親だった人だけど、ワタシには無血縁のテレビ人間」
 「……そうかテレビ人間か、最近のテレビは見てきたような嘘をつくからな」

 「だってさ、幼虫は土の中で六年も閉じ篭るんだぞ、そして蝉になってたったの一週間、それからすりゃー土の中で考える時間があり過ぎるぜ」
 私はそう言い捨てると、苦渋の六年を一気に晴らすべく旅立つ蝉を想像しました、その、輪ゴム弾くが如く翔び立つ瞬間を待っているのです。